裁いているつもりが実は裁かれているという一面の恐さ

人を裁くことなかれ、自分が裁かれないために。
あなたの時代のもっとも偉大なる聖人のひとりが確かこんなことをいっていたはずです。この言葉に象徴されるようにわたしのアガスティアの葉もやはり強くこの性質を持っています。 つまり、素晴らしい素質を持った人がこの葉を読み自分の本当の人生を総覧すると、そこにある自らの可能性に驚きつつもこの葉の素晴らしさを理解します。そして「この葉はなんと素晴らしいものだ」と言い始めます。むろんそれはまさしくその人自身の持つ素晴らしさなのです。この葉を読むと不思議と自分の事を言い始めると当地(インド)でいわゆるゆえんはここにあります。
逆に一見、達観者、あるいはスピリチュアル・リーダーを気取った人間がこの葉をとったとします。しかしこういう人たちはそこに何かがかかれていても結局満足しません。 あるいは様々にこの葉を試し、たくさんの館で同じのがでるものかどうか試してみたり、あるいは架空の名前で葉を検索してみたりします。
神を試すことなかれ。この葉は善悪を越えて常に本人を満たす言葉がでてきます。 もともと神を否定するために生まれてきた人たちすら満足させてしまうのです。
つまりその場合まんまと本人の猜疑心すら満足させる言葉と結果がでてます。そして本人は潜在的要求どおりこのアガスティアの葉をとおし神すら否定しはじめます。 インチキ、デタラメ、詐欺商法と…。 そしてこれがまさしくその本人のことなのです。
すでに数千年、いえ、数百万年という間生き続けるこのアガスティアの伝統は尋常な人には理解できません。
ましてこのアガスティアの葉を肯定し、社会に正しくその価値を広めることのできる人というのはそうざらにはいません。
-------------------
←戻る | TOP
お問合せはメール

Copyright Peace of life All Rights reserved.