どんな生活をしていたか
わたしは当時の王家バーンティア一族の血筋をひきます。この家系からは後のシバァとパールバディが輩出し、今も尊敬の絶えない偉大なる家系といえるでしょう。クラセカーラ王の治世、わたしは学士文芸院の院長をしていたのですが、ある時王宮での生活を辞し、求道者の生活へと入りました。そして現在の南インド、クッタララムという場所で長年、クンダリーニ・ヨーガ、さらにはバクティ・ヨーガをベースに聖典を紐解くという生活にあけくれました。
のちに完全なる神との合一を達成、そののち、わたしは徒歩でクッタララムより南へ20キロ、パーパナシュラムというところに庵をかまえ、しばらくそこで時を過ごすこととなります。
わたしには代表的な12人の弟子がいました。のちにババジという若者がわたしのもとを訪れ、クリアー・ヨーガを収めていきます。 わたしには妻にロバミトラというものもおり、こどももいました。
わたしはその一生にいくつか住まいを変え、北インドを旅行したこともあります
その際、ワディスバランコビル(現在のアガスティアの里)で病気にかかってしまいました。そのとき、わたしを懸命に看病してくれたのが、現在わたしの残したアガスティアの葉・原典を保管するシバァ家の人々で、そのときのお礼として今の時代このファミリーにわたしの遺産(アガスティアの葉)を管理するという祝福を与えています。
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